当院の歴史

当院の歴史

 長谷川動物クリニックは、長谷川 栄造が昭和11年9月2日に獣医師開業以来長谷川 久一、長谷川 清、長谷川 充と4代にわたり開設78年(平成26年・現在)になります。

初代

 栄造は、本人の業績記録(一代記)によると人生の大半を軍人として、満州事変、北支事変,大東亜戦争、第二次世界大戦と継続して従軍し、軍隊では獣医師として軍馬の衛生管理、疾病治療、兵站(へいたん)業務を行っていた。インパール作戦で敗北捕虜となり、生死不明であったが、終戦一年後の昭和21年7月19日に、ラングーンより前ぶれもなく帰郷した(54歳)。帰郷の後「マラリア」の感染等により体調を崩し体力の回復に時を要した。帰郷の後は農耕馬の診療が主体であり、その他に国民高等学校(加藤完治校長)の嘱託獣医として同校に貢献する。診療業務の他、農業にも従事していた。家族に戦争に関する事は、死ぬまで語ることは無かった。栄造は、「家で死ねるのは運が良い。」と言っていたとのことです。(栄造業績記録・一代記抜粋は後に記す)

2代

 久一は、昭和19年8月陸軍獣医学校在校中に終戦、9月に復員、10月に開業する。開業しても敗戦直後の物不足の時代で、薬品・器材を集めるのに大変苦労し、物々交換の時を経て昭和28年頃より獣医科資材・器具等が出始め診療業務も行なえるようになり、オートバイを購入し往診も楽となる。昭和28年11月28日に旧西茨城郡岩間町旭町4439(現在の長谷川動物クリニックの所)に長谷川家畜医院を設立し診療所ができたことにより診療業務が伸びることとなる。久一の診療対象は、農耕馬・耕牛(農機具が農家に入る前の畜力)の時代から産業動物(酪農・乳牛-養豚・豚―養鶏・鶏)へと畜産振興により畜産農家の規模拡大が進む中、行政機関と協力して産業動物の診療、衛生飼養管理、経営指導まで畜産振興に大いに地域に寄与してきた。産業動物の診療業務が専門化をするなかで、診療対象の飼育動物は、ペットとしての愛玩動物(伴侶動物)へと変わる時代となる。清(3代)が昭和49年4月5日に長谷川動物病院新設開院を機に伴侶動物の診療を進めることになる。  久一は、昭和53年9月8日~22日に茨城県獣医師会の推薦により針灸科学者友好訪中団に参加したことから鍼灸治療に感銘し翌年昭和54年3月より国際鍼灸専門学校専科へ入学し同校を卒業。昭和56年11月16日にはり師・きゅう師免許取得し、昭和56年12月に長谷川動物病院2階にて、長谷川鍼灸院を開設し人のぎっくり腰、腰痛の痛み等その他鍼灸治療をとうして久一の鍼灸師としての評判は、高く評価された。鍼灸治療は近年まで行ってきたが、数年前に腕を下した。また犬等の腰痛、起立不全症に対する鍼灸治療は、著しい効果がみられたことを付け加えておく。  現在久一は91歳になるが、生家の脇の畑で野菜作りや果樹園の手入れなどをして元気に過ごしている。

3代

 清は、父・久一の後ろ姿を見て、日本獣医畜産大学に進み昭和46年3月に日本獣医畜産大学を卒業し,獣医師として同年4月から桜井動物病院に2年間勤務後昭和48年4月1日より久一と共に産業動物、愛玩動物(犬・猫)の診療を始める。翌年、昭和49年4月に新設開院を進めていた長谷川動物病院がオイルショックの為に一年遅れて完成した。当時は、産業動物から愛玩動物への転換期であり、清は伴侶動物を中心に診療を開始した。当地域では、特に犬のフィラリア症の多い地域であったことからフィラリアの心臓からの摘出手術をいち早く取り入れて評価を得た。またフィラリア症等の寄生虫等やウイルス性感染症等(ジステンパー、伝染性肝炎等全ての感染症)の飼育動物全ての疾病予防に努めながら新しい医療機器の導入をして診療技術向上に務めてきた。 平成3年4月に友部動物病院を開設し診療時間を平日の夜間診療(午後7:30~9:00)を行い地域の患者さんの利便性に寄与してきた。 平成13年3月27日に現在の長谷川動物クリニックを新設開院し、より良い診療内容の更なる充実に、新しい医療機器の導入と広い待合室・診察室2室・処置検査室・手術室・レントゲン室・入院室・隔離室・ホテル室と、犬・猫トリミング室にて新規のサービスを始めた。 昭和56年より航空自衛隊百里基地嘱託獣医として歩哨犬の健康管理,疾病治療等に貢献したことにより平成21年11月17日に航空自衛隊百里基地司令航空補荒木淳一より感謝状・平成22年10月28日に航空自衛隊中部航空方面司令官空将渡辺至之より感謝状を戴く。平成22年9月18日動物愛護事業を積極的に推進した功績に対し茨城県知事橋本昌より表彰される。 平成19年年6月まで10年間茨城県獣医師会の理事として会の近未来検討委員長、事故対策委員長、動物愛護委員長、倫理委員会、新公益法人移行にあたり組織財政委員長を務めた。現在,組織財政委員、会報編集委員として会に貢献している。

4代

 充は、日本獣医生命科学大学を平成17年3月に卒業し、東京都内動物病院勤務後、平成21年4月より平成22年3月まで、麻布大学動物病院に於いて、社団法人日本獣医師会が実施した平成21年度獣医師高度技術研修事業に参加し、その過程を修了した。平成22年4月より長谷川動物クリニックの診療業務に加わり現在に至る。

長谷川 栄造(明治28年10月7日生~昭和37年11月29日没)

明治42年3月25日
岩間村立尋常高等小学校卒業。後農業に従事し農閑期は参り坂在私立時習館に通学し漢学を学ぶ
大正4年12月12日
徴兵により騎兵第13聯隊に入営
大正6年 5月 3日
蹄鉄術卒業
大正10年12月1日
陸軍獣医学校丙種学生として入校
大正14年4月27日
第59回農林省に於ける獣医師免許試験の合格
昭和11年7月30日
予備役となり除隊
昭和11年 9月 2日
獣医師開業
昭和12年8月17日
召集により歩兵第2聯隊(水戸)に入隊
昭和12年8月29日
支那事変のために、大阪から出港中国塘古上陸後、戦闘に従軍転戦し昭和14年12月23日に青島
 を出港し神戸を経て31日に水戸に帰還、東部第37部隊にて9か月従事
昭和15年9月25日
召集解除
昭和15年10月1日
獣医師兼農業に従事
昭和16年4月14日
満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所嘱託として農事課畜産科に勤務
昭和16年7月29日
大東亜戦争のため、充員召集 東部第37部隊に入隊
昭和16年8月16日
大東亜戦争へ、水戸を発ち神戸港より中国錦州駐留後中国内の作戦に従事
昭和18年 3月 9日
陸軍獣医大尉
昭和19年 1月 1日
南支関東(東山にて越年)
昭和19年3月23日
第18師団司令部勤務の後、戦況悪化で敗退のための移動は人生最大の苦労と書いてある。
昭和19年5月31日
カマイン転進の後、退却のこととなる。(カイマン~ラカチヤン~エンクムー~築紫峠の難行~ラパンカトン~サモウ~ミンゴン~ポヒン~カンゴン~モ-二ン~モ―ハン ~ナバ(8月1日)
昭和19年8月19日
「~第一次進断作戦戦闘及転進」のため,ナバ発~インドウ~メザ~トンナム~カンバル~オレウ~サゲイン~アマラパラ~マンダレー~明妙~ナンキヨウ~ラシオ~ナ ンコウ~モンユウ~オセを経て~ (9/2)ナンナン転進~(11/19)ナンカン警備~マンダレー~(11/18)ラシオ~モンミット~(12/5)ミイトソン戦闘~(12/24)モンミッ ト壮途台集結(部隊改編に依り第18師
 団獣医部部員)
昭和20年1月1日
モンミット壮途台にて越年―(2/9~2/20)ミイトソン戦闘
2月23日
モンミット発~モンロン~スムサイ~トンボ~クメ~テジ~パンヤム~ミンドウ湖を経て~ (3/9~4/2)メクテーラ会戦参加~(4/8)ピョウベイ~(4/13)ヤメセン~(4/24) マンヤン~(5/11)シッタン~(5/16)インピトレット竹林
4月30日
賜一等給(獣医少佐決定上申・九月一日進級)
6月1日
インガボーリ コム林に移動(物資無く現地自活)
8月15日
停戦命令 (緬旬・シツタン河畔にて)
9月10日
チャイトに移動
10月12日
武装解除獣医資材、牛馬引渡終了
10月14日
パヤジに移動してキャンプ生活(この地にて越年)
昭和21年1月1日
正月に餅も無く食べ物もなし
2月12日
蘭貢「コカイン」キャンプに移動その後同地にて、6月まで労務
6月23日
蘭貢港出航
7月9日
宇品入港
7月10日
復員完結。当日より大腸炎のため似島国立病院に入院18日に治癒
昭和21年 7月19日
終戦の後約一年後の帰郷(54歳)帰郷後マラリア症を発症する。この後獣医師としての診療業務と農業に従事する。
昭和37年11月29日

長谷川 栄造 業績記録(一代記)より抜粋

長谷川 久一 (大正12年3月20日生)

140319153853

昭和15年3月
茨城県立土浦中学校卒業
昭和17年4月
東京高等農林学校獣医科入学
昭和18年8月
満州勤学奉仕隊学生隊獣医班に参加(農林省)40日間
昭和19年8月
日本獣医師会主催無獣医村診療班に参加
昭和19年9月
東京高等農林学校獣医科卒業
昭和19年12月
東部44部隊入隊
昭和20年5月
獣医部甲種幹部候補生合格
昭和20年9月15日
陸軍獣医学校在校中復員
昭和20年12月1日
長谷川家畜医院開業
昭和48年4月1日
長谷川動物病院開設
昭和53年9月8日~22日
針灸科学者友好訪中団に参加(茨城県獣医師会)
昭和54年3月15日
国際鍼灸専門学校専科入学
昭和56年8月15日
国際鍼灸専門学校専科卒業
昭和56年11月16日
鍼師・灸師免許取得
昭和56年12月1日
長谷川鍼灸院開設  鍼灸師・獣医師として診療業務に従事
平成29年10月28日

長谷川 清 (昭和22年8月16日生)

昭和42年3月15日
土浦第一高等学校卒
昭和46年3月15日
日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)卒
昭和46年4月15日
獣医師免許取得
昭和46年4月~昭和48年3月
桜井動物病院勤務
昭和48年4月1日
長谷川動物病院勤務
昭和49年 4月5日
長谷川動物病院新規開設
平成2年 4月1日
友部動物病院開設(長谷川動物病院分院)
平成13年3月27日
長谷川動物クリニック新規開設

長谷川 充

平成17年 3月15日
日本獣医畜産大学(現 日本獣医生命科学大学)卒
東京都内動物病院勤務
平成21年4月1日
麻布大学動物病院研修課程入学
平成22年3月15日
麻布大学動物病院研修課程修了
平成22年 4月1日
長谷川動物クリニック勤務・現職
平成29年 4月3日
友部動物病院 新規開設